【展示アーカイブ】個展「なぞって、たしかめる。」
鳥取県鳥取市の有形文化財に登録されている商家「高砂屋」
シックな雰囲気漂う店舗棟から、サンダルに履き替え庭に出たその先に「家財蔵ギャラリー」はある。
展示挨拶
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靴を脱ぎ、サンダルに履き替えて庭に出る。
晴れていれば、気持ちがよかったのではないだろうか。
雨であれば・・・・・・お足元の悪い中
足を運んでいただきありがとうございます。
靴の脱ぎ履きが面倒だったかもしれない。
面倒の向こう側に来てくれて、ありがとうございます。
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ここちよさ というものを探る。
私が絵を描く上でのひとつのテーマである。
絵の具の伸びや、混ざり、においとその質感。
そこに、ここちよさ の断片がある。
絵の具のにおい
土のにおい
カレーのにおい
鳥のさえずり
葉擦れの音
あるいは雨の音
考えることは、常にある。
感情の起伏に、絵が、この空間が
寄り添う事ができれば幸いである。
2022年 春
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この場所を会場として選んだのは、ここが絵画のことを考えて建てられた・使われていた場所ではないから。 人と人の交流があり、物流があり、自然があり、生活がある。 絵を鑑賞するための空間ではないからこそ、ここで展示をしたかった。
「油絵をしています」 そう言うと「絵のことは全然分からなくて」という言葉が返ってくることがある。 嫌とかそういう気持ちはない。むしろ仕方がないことだと思う。 私だって、例えば楽器の演奏が出来る人には「いやあ〜音楽のことって全然分かんなくて」と言うだろう。 「分からない」というのは、その絵がどんな画材や画風で描かれているか、だろうか。 それとも描かれている絵の内容だろうか。作者のことだろうか。 美術館に行くと、絵画の隣には大抵、その説明文が置かれている。 人気のある展覧会だとその説明には人だかりができ、前に行くのが難しいこともある。
絵画の前に行くよりも。 文字の情報というのは、言語化されているだけあって、基本誰にでも分かり易い。
さて、私たちは、美術館や画廊に、何を見に行くだろうか。
絵のことを分かりたくて、ついつい文字に頼ってしまう。
「なぞって、たしかめる。」41.0×31.8cm(キャンバス、油彩)
筆を使って、絵の具を伸ばす。 これがすこぶるこ心地よくて、好きで、いつまでもこうしていたいと思う。 その気持ちに、植物の輪郭は答えてくれる。 植物が答えてくれるというより、私がその輪郭に重なることができる。
そんな表現のほうが合っているかもしれない。
輪郭をなぞって、分かろうとする。
この心地よさの理由や、絵を描くことの意味を。
「ここち シリーズ」(木、アクリル) 心地というのは、常に私たちが感じているものだ。 外界で起こる物事に作用され、私たちの心は動き、形を変える。
この作品は、木材を必要な分だけ切断したときに出てきてしまった、端の部分、木っ端を支持体としている。
いつもじゃなくて良いけれど、ふとした瞬間、生活の端に現れる“ここち”に寄り添えるような作品を目指した。
「支度」53.0×41.0cm(キャンバス、アクリル)
年末に実家に帰ると、祖母が正月飾りの支度をしていた。
「飾り」というものの役割を考える。
願いや信仰といった目に見えないものを、出来るだけ具現化して分かろうとしているような。
絵に限ったことではなく、人が物をつくる行為というのは、不思議で、謎だらけで、尊いと、そう思う。
「Trace(一部)」(木製パネル、油彩)
大学の卒業制作で描いた絵を切ってばらばらにした、その一部。
描くという身体行動に焦点を当て、制作した。 植物のカタチと、私のストローク。 その一致がここちよい。(作品ステートメントより一部抜粋)
絵を描いていても分からない、絵のこと。 それでも分かりたいから描いてみる。
なぞって、たしかめる。 私の制作は、きっとこの繰り返しだろう。
ちなみに、展示を開始した4月初旬には、まだ芽が膨らんできていたくらいだった庭の植物が、展示を終えた5月下旬には緑が増え、季節の花が代わる代わる咲いていった。 季節の移り変わりとともに絵の見方も変わってくる。
それが体験できたのが嬉しい。
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